アボリジナルアート ~大地に咲いたドリーミング~
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 ―アボリジニの歴史について―

 オーストラリアに人類が海を渡ったのは今から5万年前といわれています。南中国や東南アジアから竹の筏を作って島伝いにやってきたとされていますが、はっきりとは分かっていません。かれらは大陸の環境に適応しながら歩を進め、大陸北部の熱帯湿地から中央部の広大な砂漠地帯、そしてタスマニアを含めた島々へと広がっていきました。その数は30万人(一説によれば100万人)にまで増えていったのです。かれらは外部の影響を受けず、大地とのかかわりを保持しながら独自の文化をつくり上げていきました。「最後の石器人」、それがヨーロッパ人のいうアボリジニの代名詞でした。弓矢さえしらない狩猟採集の生活で、食料を求めながら簡素な道具や武器を携えて遊動を繰り返しました。その体躯はがっしりとしていて、肌は黒く、眉部は隆起し、太い鼻と頑丈な顎をもっています。人類学的にはどのグループにも属さない不思議な民族として位置づけられています。アボリジニという呼称の語源はラテン語のab・origine『原初からの』に由来し、土着民をさしていた言葉が定着したものと考えられています。

  1788年、イギリスがオーストラリアを植民地にしたことにより、アボリジニの文化は崩壊の一途をたどります。彼らは土地を略奪され、食料源を失いました。また伝染病が蔓延し、消えていく部族もありました。東部やタスマニアではアボリジニの全滅という悲劇もあり、1901年の統計によればアボリジニ人口は66,950にまで減少しています。このことからアボリジニの辛苦の濃さがわかります。また1960年代までは同化、隔離政策がとられ、10万人ともいわれるアボリジニたちが『盗まれた世代』として親元や故郷から連れ去られます。彼らは社会の底辺に屈みこんで大きな社会問題へと発展しました。しかし一方ではアボリジニ救済の動きもありました。アーネムランドや中央砂漠地方ではキリスト教会によってアボリジニ教化と社会の近代化が進みました。医療や教育の普及と産業化によってミッションタウンがつくられ、牧師や教会員、民族学者が熱心に活動しました。その結果、大規模な保護区がいくつか設定されました。

  1967年、アボリジニにとって大きな変革の時がやってきました。国民投票によってアボリジニにオーストラリア国民としての権利が与えられたのです。政府やインフラや福祉、医療、教育とともに貨幣経済を投入していきます。しかしこのことがアボリジニ社会の激しい混乱へとつながり、国際的な批判を浴びます。政府は政策を転換し、アボリジニの自立を促しますが、街を離れて先祖代々の土地に戻る者も多くありました。またかつては200以上の言語が使われていましたが、現在は50以下へと減少してしまい、言語の重要性が問われる事態となっています。

 現在アボリジニの生活は一様ではなくなりました。政治やスポーツの世界で活躍する者もいれば、都会に暮らすものもいます。また一方では、先祖代々の土地に住み、自らのアイデンティティーを保持しているものもいるのです。かれらの多くは政府からの補助金や絵を売ったお金を分け合い生活していますが、政府による補償という形がアボリジニの自立を阻んでいることも指摘されており、問題は解決していません。長い虐待の歴史の爪あとを引きずりながら、何とか折り合いをつけているといった現状なのです。

 

 

                        

          アボリジナルアートが生まれた大地 

 

 

 -アボリジナルアートの歩み-

   1971、年中央砂漠のパプニアに赴任してきたジェフ・バートンは人々に壁画を描くよう働きかけました。徐々に年配の一流の絵描きたちの賛同を得て、バートンの活動は活気を帯びていきます。アボリジニたちはありとあらゆるものに描きました。木材や廃材、壁板や大破した車のパーツにまで色を付けていったのです。やがて人々は西洋の絵具やキャンバスを使うようになり、その動きはさばく全域へと広がっていきました。ミッションの関係者や民俗学者、画商、収集家の努力もあってアート市場が形成されます。1988年、ニューヨークにあるアジア・ソサエティ・ギャラリーの『ドリーミング』展は注目を集めました。それからニューヨークやヨーロッパで展覧会が相次ぎ、大きな反響を呼びます。1990年代にはアートとしての地位を確立し、以後急速な勢いでその価値は高まっていきます。1994年から2004までの十年間の成長率は1896%という驚異的な数字をたたき出し、世界中にコレクターを持つようになりました。2007年にはサザビーズの競売においてクリフォード・ポッサム氏の作品が2億4千万で競り落とされ、エメリー・カーメ・ングワレィの作品も一億をこえる高値で取引されています。2008年のアボリジナルアートオークションの総売り上げは1億1460万オーストラリア$に達しました。オランダのユトレヒトにはアボリジナルアート専門の美術館があり、その魅力を伝えています。また世界の原始芸術を集めたパリのケ・ブランケリー美術館の装飾プロジェクトにはジョン・マウンジェル氏が招かれ、天井の装飾をほどこしました。2008年には日本でもエメリー・カーメ・ングワレィ展が開催され、アボリジナルアートは大きなムーブメントとして世界を駆け巡っています。

 

 

 

 

 

―ドリーミングとは―

  アボリジニの絵画はその背後に物語をもっています。それはドリーミングと呼ばれるもので、彼らにとっての土地と先祖、精霊の本質ともなる創造神話です。これは西洋で使われるドリーミングの意とは根本的に違っており、我々には理解しがたい観念です。はるか昔、精霊は大地を旅し、創造と破壊の偉業を成し遂げ、その様子は記憶されました。ドリーミングはアボリジニの心象風景であり、地図であり、それは先祖の霊より授かったものです。またドリーミングは自然との調和を表し、アボリジニの法を決定します。それらを描いた絵画は、アボリジニにとっては身分証明書や権利書ともなり、自身のDNAを示すこともできます。文字を持たないアボリジニにとって絵画は情報伝達のツールであり、生きる術やドリーミングを描いて伝承してきたのです。

  文様の所有はアボリジニ特有の概念です。誰かのドリーミングを勝手に描いたり、充分な伝授を受けていない者の眼にさらされることは許されません。また男女間にも役割が分かれており、男性は成人儀礼に集まってきた人々の旅に関るテーマを描きます。しかし女性は同じテーマであっても 水辺や食物、小動物の狩猟など女性の生活に基づいたテーマになるわけです。彼らにとって芸術とは広大な大陸の旅路とその生活をつなぎ合わせた地図のようなものであり、その文様のひとつひとつに意味があります。たとえば、蛇行した線は川や砂漠、同心円はキャンプや泉、波状文は蛇や道、矢印やEは動物の足跡、くの字はブーメラン、男。Uの字は座っている人などです。これらの記号がつなぎ合わされ、壮麗な点描によって一枚の絵画が描かれます。アボリジナルアートは一見すると抽象絵画のようですが、内実は重要な意味を含むもので、創世神話や自然崇拝、精霊のメッセージを伝えております。

 

 

 

 

アボリジナルアートのスタイル

 アボリジナルアートにはあざやかなドット(点描)と記号のような幾何文で描かれた中央砂漠のスタイルだけではなく、地域によって様々な表現法がとられます。

   アーネムランドに見られる樹皮画は具象的であり造形的です。これはユーカリの樹皮を剥ぎ取ってキャンバスにしたものです。まず樹皮の裏側を炙って平らにし余計な繊維を取り除きます。必要なサイズに切り取った後、内側の樹皮にやすりをかけ、外側の樹皮は磨いてなめします。樹皮画に用いられる伝統的な色は黒、白、黄色、赤の四色で土壌から採取したり物々交換などで手に入れていました。この地方の画の特色はレントゲン画法と呼ばれ、精霊である動物や魚の頭部や内臓、骨格を透かして描きます。これは動物や魚が単なる物体ではなく、どう解体してどのように食するかという認識が表現されたものです。また東北部の樹皮画では幾何学的な文様や網状、格子状にデザインされたクロスパッチング画法が特徴です。これらは儀式のボディペインティングやロックアートをモチーフに描かれているのです。 またアーネムランドの南東に位置するガルフカントリーの絵画は鮮やかな色使いと独特のスタイルで描かれます。

 キンバリー地方のアートは簡素なデザインや太い線で描かれた絵画が多く見られます。この土地はワンジナとよばれる天から舞い降りた精霊を崇拝しており、その影響みられる場所です。またバルゴーなどのキンバリー南東部のアートは中央砂漠の要素も兼ね備えています。これは1970年代に、砂漠の民がキンバリー地方に移動したことを意味しているのです。

   一方、混血の進んだ都市部では、アーバン・アボリジナル・アートが主流に入りました。これまではトライバルアートの延長線でしかなかった都市部のアートが、印刷物や映像といった媒体を通して世に訴えたものです。彼らはカントリーとの永続的なつながりを持ちながら、そのスタイルを模倣して制作したり、あるいはその影響を受けずに自由に表現したりしています。それは先住民のアイデンティティの変化を認識しようというイデオロギーの一環であり、アボリジニのアイデンティティを踏襲しながらも現代的な手法で描いた新しい表現なのです。

 

 

            

 

  上の写真のアーティストに「写真を撮っていいですか?」と尋ねると、彼女は何の反応も示しませんでした。「ハロー、ハロー」と声をかけ、彼女の注意をひこうとしましたが、それでも彼女は絵に没頭し続けました。同じ質問を二度三度繰り返しても何の反応もありません。やがて彼女はおもむろに背筋を伸ばし、首をひねってから筆の反対側でキャンバスをポンポンポンと叩きました。そうしてゆっくりと描画の作業に戻っていきました。私はかまわずシャッターをきりました。フラッシュの光が閃光のように辺りを走りました。それでも彼女は何の反応も示しません。三度ほどシャッターをきりましたが、彼女は外の世界にはいなかったのです。

   製作中のアボリジニに立ち会うことは、とても貴重な経験となります。彼らは呼吸音さえ消し去って、静かに何の迷いもなく筆を動かせていきます。それは自身の背負うドリーミングと目の前の画材しか存在しないかのような佇まいなのです。精霊の神秘が筆先に宿り、外部の世界を遮断して一定のリズムで描く様子はアボリジニの本質を滲ませているかのようです。

 

 

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